この記事では、カナダでの生活を通して感じた「人の価値観や考え方は、環境によって大きく変わる」という気づきについて書いています。
日々の暮らしの中で出会った発見や、これまで訪れた国での経験を交えて、率直な思いをまとめました。
気軽に読んでもらえたら嬉しいです。
目次
- カナダで気づいた「環境が価値観をつくる」ということ
- 常識や正しさは、国ごとに違う
- 言語が違えば、見えている世界も違う
- インターン先のカンボジアでの気づき
- 自分の「当たり前」は、誰かの「違和感」
- 違いを受け入れるということ
- 価値観の違いを越えて生きる
カナダで気づいた「環境が価値観をつくる」ということ
カナダに来てから、改めて人間の価値観や考え方というものは「環境」によって大きく左右されるのだと実感するようになりました。
人間という生き物自体は、国が違っても大きく変わるわけではありません。
ただ、育った場所、出会ってきた人々、触れてきた文化や教育が、その人の価値観をつくり上げていくので、その人の持つ性格や価値観は一人一人だいぶ違うと感じています。
常識や正しさは、国ごとに違う
僕はこれまでに、日本、オーストラリア、フィリピン、カンボジア、そして今生活しているカナダという、さまざまな環境で時間を過ごしてきました。
それぞれの場所で過ごした時間はせいぜい1か月ほどで決して長くはありません。
ただ、その中で感じたのは、「常識」や「当たり前」とされるものが、場所によって驚くほど違うということです。
たとえば日本では、他人に迷惑をかけないこと、空気を読んで行動するといった風潮があると思います。
一方、カナダでは、自己主張や自分の意見をしっかりと持つことが重視されているように感じます。
僕の通っているカレッジでも、とにかく自分から発言するようにと言われ、苦戦しています。
言語が違えば、見えている世界も違う
さらに、多国籍な人々が集まるカナダのカレッジに通っていると、その価値観の多様さを日々感じます。
クラスメイトはそれぞれ自分の国の言葉で情報を得ており、たとえ同じテーマを話していても、受け取り方や意見がまったく異なります。
僕は主に日本語でニュースや記事を読んでいますが、英語やその他の言語で情報を得ている人たちと話すと、世界の見え方が本当に違うのだと気づかされます。
インターン先のカンボジアでの気づき
話はカナダからカンボジアに移ります。
過去にカンボジアでインターンとして小学校で英語を教えた経験も、僕の価値観に大きな影響を与えてくれました。
日本から来たインターン生たちは、ある意味で「外国から来た先生」として特別視されるのかと思っていましたが、子どもたちは僕たちの国籍や文化に対して特に気にしている様子もなく、ごく自然に接してくれました。
彼らにとっては「先生」という存在であって、日本人かどうかはあまり重要ではなかったのかもしれません。
自分の「当たり前」は、誰かの「違和感」
国籍や文化はもちろん、家庭のあり方や教育方針、メディアの影響、地域社会の価値観など、あらゆる要素が人の思考や感じ方に影響を与えています。
たとえ同じ日本人同士であっても、違う環境で育てば考え方が異なるのは当たり前のことです。
カナダで生活していると、自分の中の「当たり前」がどんどん壊されていくような感覚があります。
違いを受け入れるということ
もちろん、文化の違いからすれ違いや衝突が起こることもあります。それは今の国際社会を見れば一目瞭然です。
しかし、それも含めて、自分の価値観を見つめ直すきっかけにもなると考えます。
そして何より、そうした違いに触れることで、自分がどのような価値観を持って生きていきたいのかを考える機会になると思いました。
価値観の違いを越えて生きる
これから先も、さまざまな国や文化に触れていく中で、きっとまた新たな発見や気づきをすると思います。
ホームレスが多すぎる! 何だこれは!?
みたいな、衝撃を受けることがあるでしょう。
ただ、どこへ行っても、やはり「人の価値観や考え方は環境に依存する」という事実は変わらないと感じています。
そして、その違いを受け入れ合いながら生きることこそが、これからの時代に必要な姿勢なのかもしれません。
以上、自分がカナダで生活する中で感じていることについて書いてきました!
最後の方はなんだか偉そうな書き方になりましたが、なるべく自分がかけている色眼鏡を外して物事を見れるようにしたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
コメント